廃墟/関東
銚子・旧醤油工場の廃蔵
戦前の工場跡が一部廃墟化。
習志野市に残る旧陸軍演習地の一角に、第一次世界大戦期(1914〜1920年)に設置されたドイツ兵俘虜収容所の跡地がある。
最盛期には約4700名のドイツ・オーストリア兵が収容され、日本のビール醸造・パン製造・音楽・建築技術の発展に貢献したことで有名だ。
収容所内では死亡者も出ており、習志野市内には今も当時のドイツ兵の墓地が残る。
跡地は戦後に住宅地・学校・自衛隊施設へと転用されたが、深夜に旧収容所区域周辺でドイツ語の話し声や軍靴の足音が聞こえる、異国風の姿の人影が目撃されるという証言が絶えない。
俘虜たちの魂が故郷に帰れず土地に縛られているとも語られ、地域の郷土史家がその記録を丹念に収集している。
【沿革・年表】
習志野俘虜収容所はドイツ兵との文化交流の場として歴史に残る一方、数年間の抑留生活で命を落とした俘虜も存在した。
閉鎖から百年以上を経た今も、土地の記憶が異音・人影という形で現れると言い伝えられている。
- 1914年第一次世界大戦勃発。日本は連合国側としてドイツ租借地を攻略
- 1914年11月青島(チンタオ)攻略でドイツ兵約4700名が俘虜に
- 1915年習志野陸軍演習地内に習志野俘虜収容所を設置
- 1915〜1919年俘虜たちが音楽・工芸・建設・食品製造などで活動。地域文化に影響
- 1919年ベルサイユ条約締結。俘虜の本国送還が開始される
- 1920年収容所閉鎖。建物は陸軍に接収される
- 1920年代旧収容所区域は陸軍騎兵学校として転用
- 1945年終戦後、米軍が接収。一部地区は現在も自衛隊施設
- 1970年代旧収容所区域周辺の住宅地化が進む中、深夜の異音報告が増加
- 1985年習志野市がドイツ兵俘虜墓地を整備・保存
- 2014年収容所設置100周年。市が記念事業を実施し歴史を再評価
- 現在俘虜墓地は管理されているが、旧収容所跡は住宅・施設に埋没
【現象録】
- 深夜にドイツ語らしき話し声が聞こえたという複数の証言
- 旧収容所区域周辺で軍靴の足音が続く現象
- 異国風の軍服を着た人影が道端に立っているという目撃報告
- 旧俘虜墓地で写真を撮ると霧状の光が写り込む
- 墓地周辺で突然気温が下がり体が動かなくなる感覚
- 夜間に複数の声が重なって聞こえる「重唱」のような音
- 旧区域内の住宅で原因不明の電気系統トラブルが多発
- ラッパ・金属打楽器の音が夜間に聞こえるという証言
【体験・記録】(6件)
証言地元住民・70代男性
子供の頃から旧演習地跡の区域を「夜は歩くな」と言われていた。
ある秋の深夜、酔って帰宅中に旧収容所跡に近い路地を通ると、後ろから誰かが歩く音が続いた。
振り返るたびに誰もいないが、音は止まらなかった。
急いで帰宅すると翌日から熱が続いた。
ある秋の深夜、酔って帰宅中に旧収容所跡に近い路地を通ると、後ろから誰かが歩く音が続いた。
振り返るたびに誰もいないが、音は止まらなかった。
急いで帰宅すると翌日から熱が続いた。
証言郷土史研究者・50代女性
俘虜収容所の歴史調査で俘虜墓地を訪れた。
墓石の前で写真を撮ると、現像後に白い霧状のものが複数の墓の前に漂っているのが確認された。
撮影時は快晴で霧は出ていなかった。
同行した研究者仲間も同様の写真を撮っており、偶然とは思えなかった。
墓石の前で写真を撮ると、現像後に白い霧状のものが複数の墓の前に漂っているのが確認された。
撮影時は快晴で霧は出ていなかった。
同行した研究者仲間も同様の写真を撮っており、偶然とは思えなかった。
証言近隣住民・30代女性
旧収容所跡の近くに引越した。
ある夜中に窓の外から合唱のような声が聞こえ、目を覚ました。
日本語ではなく、後から考えるとドイツ語の讃美歌に似ていた。
翌朝近隣住民に話すと、「ここでは時々聞こえる」と平然と返された。
地域の人々には当たり前のことらしかった。
ある夜中に窓の外から合唱のような声が聞こえ、目を覚ました。
日本語ではなく、後から考えるとドイツ語の讃美歌に似ていた。
翌朝近隣住民に話すと、「ここでは時々聞こえる」と平然と返された。
地域の人々には当たり前のことらしかった。
証言自衛隊員・20代男性
習志野駐屯地の旧区域内で夜間訓練中、隊列から少し離れた場所に人影が見えた。
軍服を着ているが日本の制服ではなく、ドイツ軍の古い礼服のように見えた。
報告しようとしたが、一瞬目を離した間に消えていた。
後輩にも「あそこは出る」と語り継がれている。
軍服を着ているが日本の制服ではなく、ドイツ軍の古い礼服のように見えた。
報告しようとしたが、一瞬目を離した間に消えていた。
後輩にも「あそこは出る」と語り継がれている。
証言歴史愛好家・40代男性
収容所100周年記念で習志野を訪れ、俘虜墓地と旧跡を巡った。
墓地の一画で急に立ちくらみがし、膝をついた。
その場所が後から調べると収容所内で亡くなった俘虜が多く葬られた区画だった。
その夜、白い外国人の顔がはっきりと夢に出てきた。
墓地の一画で急に立ちくらみがし、膝をついた。
その場所が後から調べると収容所内で亡くなった俘虜が多く葬られた区画だった。
その夜、白い外国人の顔がはっきりと夢に出てきた。
証言地元中学教師・40代女性
地域史の授業準備で俘虜墓地を訪れた。
きれいに整備された墓前に花が供えてあり、手を合わせた。
帰路、旧収容所跡を通る道で金属を叩くような音が断続的に聞こえた。
周囲に工事現場はなく、音源は特定できなかった。
後日、俘虜が収容所内で金属工芸を行っていたと知り、鳥肌が立った。
きれいに整備された墓前に花が供えてあり、手を合わせた。
帰路、旧収容所跡を通る道で金属を叩くような音が断続的に聞こえた。
周囲に工事現場はなく、音源は特定できなかった。
後日、俘虜が収容所内で金属工芸を行っていたと知り、鳥肌が立った。
【所在・交通】
- 住所
- 習志野市香澄・藤崎周辺(旧習志野陸軍演習地跡)
【民俗・伝承】
習志野俘虜収容所に収容されたドイツ兵たちは、比較的良好な待遇のもとで文化活動を行い、地域に多くの影響を残した。
しかし故郷を遠く離れた抑留生活で亡くなった俘虜もおり、その魂が「帰れなかった」という感覚が土地に残るとされる。
日本の民俗では異邦人の死者の霊は特に迷いやすいとされており、土地の記憶と結びついて怪現象の語りが生まれたと考えられる。
関連地習志野俘虜収容所俘虜墓地、板東俘虜収容所、ベートーヴェン第九日本初演の地
典拠習志野市史、捕虜たちの日独交流史(学術論文)
【参考文献】
- 自治体史習志野市史(近代編)
- 調査報告ドイツ兵俘虜と習志野
- 学術書第一次大戦俘虜収容所研究
- 怪談集千葉の怪談
- ムック関東怪異地名大全
- 現地説明板俘虜墓地案内板(習志野市設置)
⚠ WARNING
- 自衛隊敷地内は立入禁止
- 俘虜墓地は礼儀ある参拝を
最終更新:2026-04-27