史跡/関東
朝比奈切通し
鎌倉七口の一つ。合戦の舞台であり、武者の霊を見たという証言が多い。
横浜市金沢区と鎌倉市を結ぶ朝比奈切通しは、鎌倉七口の一つとして鎌倉時代に開削された古道である。
現在も鬱蒼とした木立の中に当時の面影を残す岩盤の切通しが続いており、国の史跡に指定されている。
しかしこの古道は単なる歴史遺産に留まらず、鎌倉武士の「首落とし」の場として使われたという伝承が残る場所でもある。
元弘・建武の争乱期に敗走した武士たちがここで追い詰められ斬首されたという記録があり、その数百年後の現在も切通しを通ると背後から気配を感じる・人影が見える・金属音が聞こえるという体験談が旅人・ハイカーから寄せられている。
特に台風や大雨の後は道が荒れて危険なうえに怪異も増すとされ、夕暮れ以降に入った者が方向感覚を失って迷い込む「道迷い」の事例が近年も報告されている。
【沿革・年表】
朝比奈切通しは1241年頃に開削された鎌倉七口の一つで、鎌倉幕府滅亡の際に敗走した武士たちが斬首された場所でもある。
700年以上の戦の記憶が岩盤に刻まれており、現在も体験談が絶えない。
- 1241年頃朝比奈切通しが開削されたと伝わる(北条泰時の命による)
- 鎌倉時代鎌倉と六浦を結ぶ主要道として武士・商人が往来
- 1333年鎌倉幕府滅亡。新田義貞軍の侵攻ルートの一つとなり、北条方の武士が敗走
- 南北朝時代動乱が続く中、この道で多数の武士が命を落とす
- 室町時代鎌倉公方の往来路として使用されるが、前時代の血の記憶が残る
- 戦国時代後北条氏の防衛拠点として機能。道中での戦死者も出る
- 江戸時代街道として整備が進むが、霊的な評判から夜間通行を避ける者が多い
- 明治時代近代的な道路整備により切通しの利用が減少
- 1930年代史跡として価値が認識され始める
- 1955年国の史跡に指定される
- 昭和後期ハイキングコースとして整備。夜間の怪異体験談が増加
- 1990年代心霊スポットとしてテレビ・雑誌で紹介される
- 現在人気のハイキングコースとして多数の訪問者。夜間は危険
【現象録】
- 切通しを歩くと後ろから武士の気配が追ってくる感覚
- 岩壁から血のような赤い滲みが現れる(大雨後に特に多い)
- 夕暮れ後に方向感覚を失って迷い込む「道迷い」が頻発
- 金属音(刀剣の音)が岩の反響として聞こえる
- 古い甲冑を着た武士の人影が岩の陰に見える
- 切通しの途中で突然体が重くなり前に進めなくなる
- 雨の後に道中で叫び声のような音が聞こえる
- 写真に武士の兜のような形の白い影が写り込む
- 切通しを通り抜けた後から強烈な倦怠感が続く
【体験・記録】(6件)
証言ハイキング中の女性(当時35歳)
午後遅くに切通しに入った。
途中から異様な圧迫感を感じ始め、後ろを振り返るたびに「誰かがついてくる」という確信があった。
振り返っても誰もいない。
切通しの一番狭い箇所で突然体が前に進めなくなり、数分間その場で立ち止まるしかなかった。
後に地元の老人に話したところ「あそこは昔、鎌倉の武士が多数斬り殺された場所だ。
気の弱い人間は通れない」と言われた。
途中から異様な圧迫感を感じ始め、後ろを振り返るたびに「誰かがついてくる」という確信があった。
振り返っても誰もいない。
切通しの一番狭い箇所で突然体が前に進めなくなり、数分間その場で立ち止まるしかなかった。
後に地元の老人に話したところ「あそこは昔、鎌倉の武士が多数斬り殺された場所だ。
気の弱い人間は通れない」と言われた。
証言地元の男性(当時40代)
大雨の翌日に切通しを通ったところ、岩壁の一部に赤みがかった滲みが出ていた。
「雨で岩が染まったのだろう」と思いながら通り過ぎた。
しばらく歩くと後ろから複数の金属音が聞こえ始めた。
刀が鞘に当たるような音で、歩くたびに近づいてくる感じがした。
振り返っても誰もいなかった。
その後、地元の資料館でこの切通しでの「首切り」の記録を見つけ、体験の意味を理解した。
「雨で岩が染まったのだろう」と思いながら通り過ぎた。
しばらく歩くと後ろから複数の金属音が聞こえ始めた。
刀が鞘に当たるような音で、歩くたびに近づいてくる感じがした。
振り返っても誰もいなかった。
その後、地元の資料館でこの切通しでの「首切り」の記録を見つけ、体験の意味を理解した。
証言鎌倉在住の歴史愛好家(50代男性)
夕暮れ時に切通しを歩いていた際、道の先に甲冑を着た人物が立っているのが見えた。
時代劇の衣装のようにも見えたが、時代劇の撮影があるとは聞いていない。
近づくにつれて人物の輪郭が不明瞭になり、岩壁の前で消えた。
その後、切通し内で方向感覚が完全に失われ、1時間以上迷った挙句に元の入口に戻り直すことになった。
時代劇の衣装のようにも見えたが、時代劇の撮影があるとは聞いていない。
近づくにつれて人物の輪郭が不明瞭になり、岩壁の前で消えた。
その後、切通し内で方向感覚が完全に失われ、1時間以上迷った挙句に元の入口に戻り直すことになった。
証言カメラマンの女性(30代)
切通しの写真撮影に訪れた。
岩壁を撮影していると、ファインダーに人型の影が見えた。
撮影した写真を確認すると、複数枚に白い影が写り込んでいた。
特に1枚は武士の兜のような形が岩壁の前に写っており、明確に人型と判断できた。
帰宅後から数日間、鎧兜を着た武士が追いかけてくる夢を繰り返し見た。
岩壁を撮影していると、ファインダーに人型の影が見えた。
撮影した写真を確認すると、複数枚に白い影が写り込んでいた。
特に1枚は武士の兜のような形が岩壁の前に写っており、明確に人型と判断できた。
帰宅後から数日間、鎧兜を着た武士が追いかけてくる夢を繰り返し見た。
証言地元の小学校の教師(40代女性)
社会科の地域学習で生徒を連れて切通しを訪問した。
日中の明るい時間帯だったが、切通しの一番深い箇所で複数の生徒が「変な感じがする」「体が重い」と言い始めた。
特に一人の生徒が「後ろに人がいる」と言って泣き出した。
確認しても誰もいなかったが、その生徒は帰宅後から体調を崩した。
以来、遠足でこの場所を訪問することを避けている。
日中の明るい時間帯だったが、切通しの一番深い箇所で複数の生徒が「変な感じがする」「体が重い」と言い始めた。
特に一人の生徒が「後ろに人がいる」と言って泣き出した。
確認しても誰もいなかったが、その生徒は帰宅後から体調を崩した。
以来、遠足でこの場所を訪問することを避けている。
証言霊道研究者(50代男性)
朝比奈切通しの霊道調査を実施した。
この切通しは文字通り「岩を切り開いて作られた道」であるが、霊的な観点からも「別世界への切れ目」として機能していると感知した。
鎌倉武士の霊魂が多数滞留しており、特に敗走して斬首された者の霊は強い怨念を持って道中に存在している。
岩盤がこれらの霊の感情を「記録」しており、特に雨後など岩が湿潤な状態の時にその「再生」が起きやすいとの見立てを持った。
この切通しは文字通り「岩を切り開いて作られた道」であるが、霊的な観点からも「別世界への切れ目」として機能していると感知した。
鎌倉武士の霊魂が多数滞留しており、特に敗走して斬首された者の霊は強い怨念を持って道中に存在している。
岩盤がこれらの霊の感情を「記録」しており、特に雨後など岩が湿潤な状態の時にその「再生」が起きやすいとの見立てを持った。
【所在・交通】
- 住所
- 神奈川県鎌倉市十二所〜横浜市金沢区朝比奈町(鎌倉七口の一つ・六浦道) [地図]
- 交通
- JR横須賀線「鎌倉駅」よりバス「十二所神社」下車、徒歩約10分で鎌倉側登り口
- 現況
- 歩行者のみ通行可(1956年県道204号開通後は車道から外れる)。仁治2年(1241年)北条泰時の命で開削。2019年9月の台風で一時通行止めの実績あり
- 確認日
- 2026年(Wikipedia)
【民俗・伝承】
朝比奈切通しの霊的伝承の核心は「斬首の記憶」にある。
首を斬られた武士の霊は「頭と体が分離した状態で成仏できない」という日本の民俗的理解があり、首切り場となった場所には特に強い怨霊が宿るとされてきた。
切通しという地形は「境界」の象徴でもあり、内(鎌倉)と外を区切る場所として霊的な意味を持つ。
また岩に囲まれた狭い通路という特性が「霊魂の集積装置」として機能しているという解釈もある。
「道迷い」という現象は、日本の民俗では「神隠し」「狐狸に化かされる」と同様のカテゴリーに属し、霊的影響による方向感覚の喪失を意味する。
関連地鎌倉七口の霊的来歴、化粧坂切通し、極楽寺坂切通し
典拠鎌倉市史 古代・中世編、鎌倉七口の研究、南北朝の動乱と鎌倉
【参考文献】
- 地方史鎌倉市史 古代・中世編
- 考古学資料朝比奈切通し遺跡調査報告
- 歴史文献鎌倉幕府滅亡の記録
- 心霊本神奈川心霊スポット大全
- 民俗学資料鎌倉の霊的空間考察
- 学術論文切通しと境界の民俗学
⚠ WARNING
- 夜間・台風後の通行は危険
- 道迷いに注意して単独での夕暮れ後の入山は避けること
最終更新:2026-04-30