沖縄県 · 読谷村 戦跡 怪異台帳 / HAUNTED SPOT DATABASE 沖縄県 · 読谷村 戦跡 怪異台帳 / HAUNTED SPOT DATABASE
HAUNTED SPOTS · JAPAN DATABASE 怪異台帳
← 一覧へ
戦跡/沖縄

読谷村 チビチリガマ

沖縄戦で住民集団自決が起きた自然洞窟。洞内から泣き声が聞こえるとの証言が絶えず、訪問者が体調不良を訴える例が多い。

沖縄県読谷村波平のチビチリガマは、1945年4月2日に住民140名以上が避難し、83名(うち子ども22名)が集団自決で命を落とした天然壕だ。
「チビチリ」とは沖縄語で「血の染みた崖」を意味するとも言われ、壕の内部は現在も立入禁止となっている。
慰霊碑には千羽鶴が供えられているが、1987年には地元の若者グループが慰霊碑のオブジェを破壊するという事件も発生した。
子どもたちを含む家族が家族の手によって死んでいった悲劇は、「仕方なかった」という米軍への恐怖から生まれたが、その後に生き残った者たちに深い心理的傷跡を残した。
壕の前に立つと強い圧迫感と「あのガマに入るな」という拒絶感を感じる人が多く、子どもの霊の存在が特に語られる場所だ。

【沿革・年表】

チビチリガマの集団自決は、「家族が家族を手にかけた」という最も悲しい形の死だった。
子どもたちは親に守られるのではなく、親の手によって命を絶たれた。
この反転した愛の悲劇が、ガマに特別に重い念を残している。

  • 1945年4月1日米軍が読谷海岸に上陸。読谷村は最初の上陸地点となる
  • 1945年4月2日波平の住民140名以上がチビチリガマに避難。集団自決が発生。83名死亡
  • 1945年4月以降生存者57名が米軍に保護される
  • 1945〜1980年代生存者の証言が記録される。集団自決の実態が明らかになる
  • 1987年チビチリガマに慰霊碑・オブジェが設置される。同年、一部が破壊される事件
  • 1995年沖縄戦50周年に合わせた慰霊活動が強化される
  • 現在慰霊碑が維持される。ガマ内は永久立入禁止
【現象録】
  • ガマの入口で子どもの泣き声が聞こえる
  • ガマに近づくと強い圧迫感と「立ち入るな」という感覚がある
  • 慰霊碑前で突然動けなくなる体験者が多い
  • ガマ付近で子どもが母を呼ぶ声が聞こえる
  • 撮影すると慰霊碑周辺に子どもの顔が写り込む
  • ガマの方向から腐敗臭が漂うことがある
  • 慰霊碑前で長時間立っていると強い眠気に見舞われる
  • 夜間にガマ付近でオレンジ色の光が浮かぶのが目撃される
【体験・記録】(3件)
証言生存者(女性・45歳)
40年後に初めて戻ってきた。
ガマの前に立ったとき、あの夜の声が全部蘇ってきた。
子どもたちの声。
今でもあの子たちがここにいると思っている。
出てきてほしいが、出てこられないのだと思う。
証言平和教育の教師(女性・40代)
生徒と一緒に訪れた。
慰霊碑の前で説明していたとき、生徒の一人がガマの方向を指して「誰かいる」と言った。
見ると、ガマの暗がりに子どもの輪郭が見えた気がした。
数秒後に消えた。
生徒は「小さい子が手を振っていた」と言った。
証言読谷村在住の男性(30代)
地元育ちで何度も来ている。
大人になってから気づいたが、ガマの前に立つといつも突然体が重くなり、寒気がする。
霊感はないが、この場所だけは違う。
前に来たとき、ガマの入口から「お母さん」という声が聞こえた気がした。
【所在・交通】
住所
沖縄県中頭郡読谷村波平(チビチリガマ) [地図]
【民俗・伝承】

チビチリガマでの死の特殊性は「愛の中の死」という点にある。
子どもを守るための殺意と愛の混在、それを強いた恐怖と占領の暴力——これらが複雑に絡み合った死は、成仏の条件が満たされない可能性が高い。
沖縄の民俗では子どもの霊は成仏が難しいとされており、チビチリガマの子どもたちの霊は特に「まだここにいる」という信仰が強い。

関連地集団自決沖縄戦読谷村子どもの霊
典拠読谷村史編纂委員会『読谷村史』第5巻戦時記録(1994年)
【参考文献】
  • Web読谷村史 第5巻戦時記録読谷村史編纂委員会 1994
  • Webチビチリガマの集団死石原昌家 1996
  • Web沖縄怪談集南島怪談研究会 2012
#集団自決#ガマ#戦跡#読谷#子どもの霊#沖縄戦
⚠ WARNING
  • ガマへの立入は永久禁止
  • 子どもへの配慮から精神的に強い場所
最終更新:2026-04-24