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神社仏閣/関東

桜木神社(首吊り神社・所沢市下新井)

関東でただ一社、本居宣長を祀る霊社——『首吊り神社』の異名と、日本初の航空機事故の記憶が交錯する所沢の小社

埼玉県所沢市の住宅街、東所沢駅から北西方向へ徒歩三十分ほどの距離に、桜木神社(さくらぎじんじゃ)という小さな神社があります。
所沢市下新井町一三六〇。
樹木に囲まれた境内はそれほど広くなく、ふだんは地元の方が散歩がてら立ち寄る程度の、ごく静かな鎮守の杜です。
けれども、心霊愛好家の間では、この神社は別の名前で語られてきました。
「首吊り神社」。
埼玉県内で繰り返し名前の挙がる心霊スポットの一つで、現地ルポや動画では「S神社」と匿名で扱われてきた歴史を持つ場所です。
桜木神社の素性を辿ると、まず驚かされるのが、この神社がただの集落鎮守ではなく、極めて学術的な由緒を持つ霊社だという点です。
創建は嘉永三年(一八五〇年)三月。
下新井村の名主、森田七郎左衛門道依(みちより)という人物が、私財を投じて勧請しました。
道依は江戸後期の農民でありながら、国学に深く傾倒し、当時すでに故人となっていた本居宣長を熱心に尊崇していたといいます。
祭神は二柱。
一柱は本居宣長その人——神号としては「秋津彦美豆桜根大人命(あきつひこみずさくらねのうしのみこと)」と称されます。
神社名の「桜木」は、宣長の諡号「秋津彦美豆桜根大人命」から取られたものです。
もう一柱は徳川光圀。
学問の祖と、水戸学の象徴的存在の二人を、武蔵野の片隅の小さな村の名主が勧請して祀ったというところに、この神社の独自性があります。
神号額には有栖川宮幟仁親王の親筆が掲げられたといい、関東において本居宣長を祀る神社は、現在もここただ一社のみとされています。
明治の神仏分離と社寺整理の波が押し寄せた時期、桜木神社は「個人の邸内社」と見なされて廃社の危機に立たされましたが、道依とその一族の根強い運動によって、明治十三年(一八八〇年)に無格社として正式に公認されました。
大正期に入って改めて社格の整備が進み、大正七年(一九一八年)には不幸にも火災で社殿が焼失します。
現在私たちが見ている社殿は、その後に氏子の手で再建されたものです。
ここまでが桜木神社の表側、学問の系譜の物語です。
問題は、ここからが裏側だということ。
「首吊り神社」という呼び名は、いつの頃からか地元で囁かれるようになりました。
一説には昭和の戦後混乱期、別説では昭和五十年代、さらに別説では平成に入ってからだとも言われ、起源ははっきりしません。
それでも一定して伝わるのは、「鳥居に首を吊った人がぶら下がっているのを見た」という目撃証言が、断続的に繰り返されてきた、という事実です。
実際の警察記録や行政の公式統計に「ここで首吊りが多発した」という裏付けは見つかりません。
あくまで地元の口伝・体験談の集積として、この神社は「首吊り神社」の異名を背負ってきました。
ただ、桜木神社の周辺には、心霊伝承を「単なる噂」と切り捨てづらい歴史的事実が、もう一つ眠っています。
大正二年(一九一三年)三月二十八日、神社のすぐ南、わずか百メートルほどの地点で、日本の航空史に残る悲劇が起きました。
陸軍の試験飛行に出ていた木村鈴四郎中尉と徳田金一中尉が乗る飛行機が、突風で左翼を空中破壊され、墜落炎上したのです。
日本国内における「軍人搭乗の航空機事故」として記録される初期事例で、墜落地点の周辺には今も小さな慰霊碑が残されています。
この事故の記憶は、桜木神社の心霊伝承のなかにくっきりと痕跡を残しています。
境内や鳥居の周りで、軍服姿の男性の霊を見たという目撃談。
深夜にどこからともなく聞こえる、レシプロ機のエンジンが回るような低い唸り、プロペラを切るような風切り音。
地元の心霊探索者の間で繰り返し語られてきたこれらの現象は、ほぼ間違いなくこの航空機事故の記憶と結びついています。
「軍服の男性」とは、まさに搭乗していた中尉のいずれかではないか——そうした語り口で、神社と事故とは静かに重ねて語られてきました。
もう一つ繰り返し語られるのが、「女性の霊」の目撃です。
鳥居の脇、社殿の裏、神社に至る林の中——どこで会うかは証言者によって異なりますが、共通するのは「白っぽい服装の若い女性」が、こちらをじっと見ている、あるいは目が合うと静かにうつむいて消える、という所作です。
話しかけても返事はなく、振り返るともういない。
攻撃的な様子は無いものの、見た者の多くがしばらくの間うつ症状や体調不良を訴える、というパターンが心霊サイトに記録されています。
機器の異常もよく報告されてきました。
境内に車で乗り付けた人のエンジンが、参拝後にかからなくなった。
鳥居をくぐった瞬間にカメラがフリーズし、後で確認するとそのコマだけが赤やオレンジの光で塗りつぶされていた。
フラッシュを焚いて撮影したのに、画像には何も写らずに真っ黒だった。
深夜の境内で、車のボンネットの上に何かが落ちてきた音がして、外に出てみても何もなかった——こうした体験談は、桜木神社の取材記事に幾度となく登場します。
そして最も不穏な噂として地元に伝わってきたのが、「神隠し」です。
桜木神社を肝試しに訪れたグループのうち、一人だけが行方不明になり、後日数十キロ離れた別の街で意識を取り戻したという話。
神社に至る林道で同行者から離れて遅れていた仲間が、振り返ったときには姿が消えていた話。
証言の真偽はもとより検証しがたいものですが、こうした「神隠し」型の語りが、桜木神社の心霊スポット性をいっそう不気味なものにしてきました。
ちなみに、心霊サイトや動画では「戦国時代の武者の霊が出る」「境内の井戸で身投げがあった」という尾ひれのついた話も流布していますが、史実との整合性から見て、これらは比較的最近作られた創作的な噂と考えられます。
詳細な調査をされたレポートでも、これらの説はデマである可能性が高いと結論づけられていました。
私が桜木神社の文献を読んで強く感じたのは、ここが「学問の神を祀る静かな霊社」と「首吊りの異名で語られる心霊スポット」と「日本初期航空事故の慰霊地」という、性質の異なる三つの顔を、同じ小さな境内に重ねて持っている、ということでした。
江戸後期に農民知識人が勧請した本居宣長と徳川光圀。
その境内の南で散った大正期の若き中尉二人。
そして昭和以降に語り継がれてきた、誰のものとも知れぬ首吊りと、白い服の女性の影。
これら全てが、所沢の住宅街の片隅にある小さな鎮守の杜の上に、層のように積み重なっています。
皆さんがもし訪れる機会があったら、ぜひ昼間に静かに参拝していただきたいと思います。
学問の神への礼を尽くし、社殿の前で深呼吸し、そして鳥居の外に出てから、すぐ南の事故現場の方角に向けて、一度だけ手を合わせていただければと願います。
深夜の肝試し目的の訪問は、現役の宗教施設・地域信仰の場である神社への礼を欠く行為であり、近隣住民の方々への迷惑にもなります。
控えていただきたいと、心から思う場所です。

【沿革・年表】

桜木神社は嘉永3年(1850年)に下新井村名主・森田七郎左衛門道依が勧請した、関東で唯一本居宣長を祀る霊社です。
徳川光圀も祭神に加え、明治13年に正式公認。
大正2年(1913年)には神社南約100mで日本初期の航空機事故(木村・徳田両中尉殉職)が発生し、大正7年には火災で社殿焼失後に再建されました。
昭和以降『首吊り神社』の異名で心霊スポットとして広く知られています。

  • 1850年(嘉永3年)3月下新井村名主・森田七郎左衛門道依が私財を投じて桜木神社を勧請。本居宣長と徳川光圀を祭神とする
  • 幕末期神号額に有栖川宮幟仁親王の親筆が掲げられたと伝わる
  • 明治初期神仏分離・社寺整理により『個人の邸内社』とみなされ廃社の危機に立たされる
  • 1880年(明治13年)道依らの根強い運動により無格社として正式公認される
  • 1913年3月28日神社南約100m地点で陸軍試験飛行中の航空機が突風で左翼破壊・墜落炎上。木村鈴四郎中尉と徳田金一中尉が殉職。日本初期の軍用機事故として記録される
  • 1918年(大正7年)桜木神社の社殿が火災で焼失する
  • 大正期氏子の手で社殿が再建される。現存する社殿はこの時期の建築
  • 昭和戦後『首吊り神社』の異名が地元で囁かれ始める。鳥居付近での首吊り自殺の噂が積み重なる(公式記録としては未確認)
  • 1980〜90年代心霊雑誌・テレビ番組で『S神社』として匿名紹介されることが増える。女性の霊・軍服姿の男性の霊・神隠しの体験談が広く知られるようになる
  • 2000年代以降心霊サイト・動画投稿の普及で桜木神社の名前が広く拡散。深夜の肝試し訪問者が後を絶たず、地元では迷惑行為として問題化
【現象録】
  • 桜木神社の鳥居に、人が首を吊ってぶら下がっているのを見たという目撃証言が、数十年にわたって断続的に報告されてきました。近づくと消えていたという話が共通項です。実際の警察記録は確認されていない、地元口伝の典型例です。
  • 鳥居の脇・社殿の裏・参道の林の中などで、白っぽい服装の若い女性がこちらをじっと見ているという目撃談が最も多く寄せられます。目が合うと静かにうつむき、振り返るとすでに消えています。
  • 境内や鳥居の周辺で、古い軍服を着た男性の霊を見たという証言があります。1913年の航空機事故で殉職した中尉二人と結びつけて語られることが多いです。
  • 深夜の境内で、現代では聞かれないはずの古いレシプロ機のエンジン音、あるいはプロペラを切るような風切り音が聞こえたという報告があります。音は近づいたり遠ざかったりするといいます。
  • 境内に車で乗り付けて参拝した後、エンジンがかからなくなったという体験談が複数あります。神社を離れた後にはなぜか始動するというパターンが共通します。
  • 深夜に車を境内付近に駐車していると、ボンネットの上に何かが落ちる重い音がしたという証言があります。外に出て確認しても何も見当たらないといいます。
  • 鳥居をくぐった瞬間にカメラがフリーズし、後で確認すると赤やオレンジの光でコマが塗りつぶされていた、フラッシュを焚いたのに何も写らず真っ黒だった、という機器異常が複数記録されています。
  • 鳥居をくぐった瞬間や社殿前に立ったとき、季節を問わず急に強い悪寒に襲われ全身に鳥肌が立つという体験談が多く寄せられます。境内を離れるとすぐに収まるといいます。
  • 境内の奥で、特定の発生源を持たない複数の女性の声、低い男性の囁き声を耳にしたという証言があります。会話の内容は聞き取れず、笑い声に近い高い響きが混じるとも語られます。
  • 肝試しに訪れたグループの一人が境内で行方不明になり、数十キロ離れた街で意識を取り戻した、林道で振り返ると同行者が消えていた——という『神隠し』型の体験談が桜木神社には伝わってきました。証言の真偽は検証困難ですが、長く語られ続けてきた類型です。
  • 深夜訪問の後に長期的なうつ症状や持続的な悪夢を訴える人が一定数いるとされ、霊感のある知人から『何かが憑いている』と指摘される後日談がしばしば語られます。
  • 境内を歩いている最中、急に両肩へ重しが乗ったような感覚に襲われ、しばらく動けなくなったという体験談があります。社殿を離れて鳥居の外に出ると軽くなるといいます。
【所在・交通】
住所
埼玉県所沢市下新井町1360
交通
JR武蔵野線東所沢駅から徒歩約30分、または西武池袋線小手指駅・狭山ヶ丘駅から徒歩約25分
現況
現役の神社として通年参拝可能(24時間開放)。境内駐車場は無いため近隣のコインパーキング利用
訪問覚書
日中の参拝を推奨。神社は閑静な住宅街にあるため、静粛な参拝を心がけてください
確認日
2026年
【民俗・伝承】

桜木神社の心霊伝承を理解するためには、この神社が抱える三つの歴史的層を、まずはそれぞれ丁寧に追っていく必要があります。
第一の層は、嘉永三年(一八五〇年)の創建の物語です。
創建者の森田七郎左衛門道依は、武蔵野の片隅の村の名主でありながら、国学者・本居宣長の学風に深く心酔し、私財を投じてこの神社を勧請しました。
江戸後期は、平田篤胤らによって国学的霊学が広く受容され、農村にも国学の知識人ネットワークが広がっていた時期です。
道依のように、農村部にあって国学の祭神を勧請する人物は、当時の知識人の系譜に位置づけられる存在でした。
道依が祭神に選んだのは、本居宣長と徳川光圀の二柱でした。
学問の祖と、史学の象徴。
二人を一社に祀るという構成は、関東圏では他に例を見ず、桜木神社の独自性をいまも担保しています。
神号「秋津彦美豆桜根大人命」は宣長の諡号で、神社名の「桜木」もここから採られました。
神号額には有栖川宮幟仁親王の親筆が掲げられ、地方の小社でありながら格調の高さを示しています。
第二の層は、明治の社寺整理と廃社の危機です。
神仏分離令と社寺整理の波は、地方の小規模な神社にとって致命的でした。
「個人の邸内社」と見なされた桜木神社は廃社対象となり、創建者の遺志を継いだ道依の一族が、長年にわたる運動の末、明治十三年(一八八〇年)にようやく無格社としての公認を勝ち取りました。
地域信仰の場が、近代国家の社格制度のなかで生き残るためにどれだけの労力を要したか、桜木神社の事例はその縮図でもあります。
第三の層が、大正二年(一九一三年)の航空機事故です。
陸軍は当時、所沢に飛行場(後の所沢飛行場、現在の所沢航空記念公園一帯)を持ち、日本初期の航空黎明期の試験飛行が頻繁に行われていました。
三月二十八日、木村鈴四郎中尉と徳田金一中尉が乗る機体が、突風で左翼を空中破壊され、桜木神社の南約百メートル地点に墜落炎上します。
機体は完全に破壊され、両中尉は殉職しました。
日本における軍用機事故の最初期事例の一つとされ、所沢の航空黎明史には欠かせない出来事として記録されています。
この事故の記憶は、桜木神社の心霊伝承に明確な痕跡を残しました。
境内で語られる「軍服姿の男性の霊」「レシプロ機のエンジン音」「プロペラを切る風切り音」は、いずれも一九一三年の事故と結びついて解釈されることが多く、地元では「事故で散った中尉のどちらかが、近隣の神社にすがって留まっているのではないか」という語り口で受け止められてきました。
神社の南には小さな慰霊碑が建てられ、毎年三月二十八日前後に静かに花が手向けられているといいます。
第四の層、つまり「首吊り神社」の異名は、これら三つの歴史的層の上に、戦後社会の影として重なってきました。
所沢市は、戦後の都市化と高度経済成長期を通じて、東京都心への通勤圏としての性格を強め、住宅地としての顔と、農地・雑木林の残る地方都市としての顔を併せ持ってきました。
住宅街と林の境目にあって、人目につきにくい鎮守の杜は、不幸な事例が積み重なりやすい立地でもありました。
実際の警察記録に「ここで首吊り自殺が多発した」という公式統計はありませんが、近隣の地域では類似の悲劇がいくつか確認されており、それらの噂が「首吊り神社」というラベルに集約されていったのではないか、と現地調査では指摘されています。
「女性の霊」の目撃が最も多く語られるのは、首吊り自殺の典型像と結びついた、現代的な怪談の類型化と考えられます。
神隠しの伝承も同様で、所沢の住宅街と雑木林の境界という特殊な地理が、「都市の中の異界」としての場所性を桜木神社に与えてきました。
民俗学的な観点では、こうした「学問の神社」と「無縁仏的な怪異」が同居する例は、近代日本の神社が辿った特殊な経緯を示しています。
本来は地域共同体の祭祀の場であった神社が、近代以降の都市化のなかで個人的な信仰の場、あるいは現代怪談の舞台へと役割を変えていく——桜木神社はその典型的なケースの一つと言えるでしょう。
ちなみに、心霊サイトや動画では「戦国時代の武者が境内に出る」「井戸で身投げがあった」という尾ひれのついた話も流布していますが、桜木神社の創建は嘉永期で、それ以前の戦国期にこの場所に神社は存在せず、境内に身投げが起きるような井戸の記録も確認されていません。
これらは比較的最近の心霊サイト・動画文化のなかで、視聴者の興味を引くために創作された噂と考えるのが妥当です。
私が皆さんに伝えたいのは、桜木神社が抱える「歴史」と「噂」の両方に、それぞれ静かに敬意を払いつつ向き合っていただきたい、ということです。
創建者の道依が勧請した学問の神への礼。
事故で散った二人の中尉への弔意。
そして、ここで命を絶ったかもしれない名もなき方々への哀悼。
それらが、決して両立しない感情ではなく、同じ境内のなかで自然に重なり合うことを、訪れる方に静かに感じ取っていただければと願います。

【参考文献】
#神社仏閣#首吊り神社#本居宣長#徳川光圀#航空機事故#軍服の霊#白い女性の霊#所沢市
⚠ WARNING
  • 桜木神社は現役の宗教施設で、地元の方の信仰の場です。深夜の肝試し目的の参拝・侵入は控えてください
  • 鳥居・社殿・神具などに触れる悪戯、落書き、損傷行為は、文化財保護法・刑法に触れる可能性があります
  • 境内および周辺は閑静な住宅街です。深夜の大声・大人数訪問は近隣住民の生活を脅かします
  • 肝試し動画・配信の撮影目的での訪問は、地元では強く嫌われています。配慮を欠いた行為は控えてください
  • 車での参拝の際は、神社専用駐車場が無い場合は近隣に迷惑をかけないよう近隣のコインパーキングをご利用ください
  • 近隣には1913年の航空機事故慰霊碑があります。場所を訪れる際は静粛に、興味本位の撮影は避けてください
  • 心霊現象の体験談は『噂レベル』のものが多く含まれます。創作的な噂と歴史的事実を混同しないよう、訪問前に文献を一度確認することをお勧めします
  • 霊感が強い方や精神的に不安定な状態のときは、深夜の単独訪問は避け、可能であれば日中の参拝にとどめてください
最終更新:2026-05-12 10:17:07