たっちゃん池(宅部池・狭山公園)
『たっちゃん池』という名前を、皆さんはどこかで耳にされたことがあるでしょうか。
東京都東村山市、武蔵野の面影を残す都立狭山公園のなかにひっそりと佇む小さな池の通称です。
正式名称は『宅部池(やけべいけ)』。
村山貯水池(多摩湖)の堤体のすぐ脇、多摩湖町三丁目に位置する、面積約三三〇〇平方メートル、水深約七メートルの人工灌漑用貯水池です。
公園そのものは樹齢百年に近い欅・桜が並ぶ落ち着いた散策コースで、朝夕にはランナー・犬の散歩・親子連れが行き交う、いたって平和な空間です。
ところが、池のほとりに立って水面を覗き込んだ瞬間から、訪問者の多くが奇妙な気配を感じ始める——というのが、このスポットを長年にわたり都内屈指の心霊スポットとして語り継がせてきた最大の特徴です。
『たっちゃん池』という独特な呼称の由来は、九十年以上前の悲しい事件にあります。
大正十四年(一九二五年)八月、地元の十歳の少年——皆から『たっちゃん』と呼ばれていた——が、夏の暑い日にこの池で泳いでいたところ、突然水底に引き込まれるように沈んでしまいました。
『たっちゃんが溺れた!』という叫び声を聞いて、付近にいた青年二人がとっさに着衣のまま池に飛び込み、必死で水底を探りました。
ところが、たっちゃんを助け出すどころか、その救助に向かった青年二人もまた、池の底に呑み込まれるように沈んでしまったのです。
約三十分後、たっちゃんと青年二人、合わせて三体の遺体が水底から引き上げられました。
一つの池が、一日のうちに三人の命を奪うという、当時の地元紙にも大きく取り上げられた悲劇でした。
事件以降、『宅部の貯水池』『ヤケチョ』と呼ばれていたこの池は、地元の方々のあいだで自然と『たっちゃん池』と呼び慣わされるようになり、その呼称が現在まで定着しました。
同時に、『あの池では夜になると男の子の声がする』『水面から白い手が伸びてくる』という心霊伝承が、戦前から戦後にかけて少しずつ語り継がれていったのです。
報告される怪異の中心は、池の水面から伸びてくる白い手です。
岸辺で釣りをしていた方が、突然足首を掴まれて引きずられそうになった、岸辺で写真を撮ったら水面付近に白い手の輪郭がいくつも写っていた——という体験が、戦後数十年にわたって積み重ねられてきました。
続いて多いのが、夜間に池畔で聞こえる男の子のうめき声・泣き声、そして低い『出て行け』という警告音のような声です。
たっちゃんと青年二人が、いまも池の底で苦しみ続けているのか、あるいは新たな犠牲者を生まないために訪問者を追い払っているのか——解釈は人それぞれですが、訪問者の多くがこの音に強い印象を受けて記憶しています。
近年特に語られるのが、自転車で池の前を通り過ぎようとすると、ペダルが鉛のように急に重くなるという話です。
誰かが後ろに乗ったように感じる、と語る方もいます。
物理的には池畔の路面のわずかな勾配や風の影響もあるのかもしれませんが、複数の同行者が同時に同じ感覚を訴えるパターンが多く、自転車心霊体験の代表例として全国的に紹介されてきました。
平成三十一年(二〇一九年)以降、心霊探索系YouTubeチャンネル『ゾゾゾ』を含む複数の番組がたっちゃん池を取材し、関連動画は二十三本以上にのぼると言われます。
書籍『最恐心霊スポット』でも紹介され、近隣の村山貯水池・八国山緑地・狭山湖と並んで、武蔵野エリアの『水辺の心霊スポット』として知名度を確立しました。
二〇一〇年と二〇一六年には『かいぼり』(池の水を抜いて底を清掃する作業)が東京都の手で実施されましたが、それでも怪異の話は途絶えていません。
私がたっちゃん池の話を読むたびに考えるのは、ここで命を落としたのが十歳の子供と、彼を助けようと飛び込んだ青年二人だ、ということです。
怪異の話の根底には、無垢な子供と勇敢な青年たちの『誰かを助けようとして亡くなった』という悲しさが、九十年経った今もなお水底で揺らめいているのではないかと感じます。
皆さんが訪れる場合は、ぜひ昼間に狭山公園を散策してから池畔に立ち寄り、たっちゃんと青年二人の名のために静かに手を合わせていただきたい場所です。
深夜の単独訪問・池畔への接近は、霊的問題以前に転落の物理的危険があります。
たっちゃん池は江戸期以前から存在した灌漑用貯水池で、1925年8月の溺死事件以降『たっちゃん池』の名で親しまれるようになりました。
狭山公園の整備と心霊探索系メディアの取材を経て、都内屈指の水辺心霊スポットとして知られています。
- 江戸末期以前宅部池(やけべいけ)が農業用灌漑貯水池として記録に現れる
- 大正12年(1923年)近隣に村山貯水池(多摩湖)が完成。狭山丘陵の水資源開発が進む
- 大正14年(1925年)8月10歳の少年『たっちゃん』が宅部池で溺死。救助に飛び込んだ青年2名も同時に水死。以後『たっちゃん池』と呼ばれるように
- 昭和初期事件犠牲者の慰霊石碑が池畔に建立。地元住民の手で慰霊の習慣が続く
- 戦後周辺一帯が都立狭山公園として整備される。池の縁に遊歩道と柵が設置
- 平成22年(2010年)東京都の主導で池の『かいぼり』(水抜き清掃)が実施される
- 平成28年(2016年)二度目の『かいぼり』を実施。池底から大正期の生活道具が発見される
- 平成31年(2019年)以降心霊探索系YouTube『ゾゾゾ』ほか複数チャンネルが取材。SNS経由の訪問者が急増し関連動画が23本以上に
- いちばんよく語られるのが、池の水面から伸びる『白い手』の怪異です。岸辺で釣りをしていた方が突然足首を掴まれて引きずられそうになった、岸辺で写真を撮ったら水面に白い手の輪郭がいくつも写っていた——という体験が、戦後数十年にわたって積み重ねられてきました。撮影時には肉眼では何も見えなかったが、後から写真を見て驚いた、という共通パターンが特徴です。
- 夜間に池畔で、男の子のうめき声や泣き声を聞いたという報告があります。動物の声ではなく、明らかに子供の人間の声として聞き取れる、という証言で、たっちゃんを連想させる声として地元では受け取られてきました。続いて、低い大人の男性の声で『出て行け』と警告するような音を聞いた、という体験談も繰り返されています。新たな犠牲者を生まないために、青年二人が訪問者を追い払っているのではないか——という解釈で語られます。
- 自転車で池の前を通ろうとすると、ペダルが急に鉛のように重くなるという話があります。誰かが後ろに乗ったような感覚を覚え、一度自転車から降りて確認すると元に戻るというパターンが共通しています。複数の同行者が同時に同じ感覚を訴えることもあり、池畔の道では『あの場所だけ気をつけろ』という暗黙の了解が、地元のサイクリストの間で語られてきました。
- 池の周囲を歩いていると、誰かに強く見られている視線を感じたという証言があります。視線の方向に振り返っても誰もおらず、視線だけが続くというパターンで、池の中央部付近に最も強く感じる方が多いそうです。物理的には池の鏡面反射と光の屈折が独特の視覚体験を生む地形ではあるのですが、複数の方が同じ感覚を共有することが多い点が、印象を強めています。
- 肝試しで池畔を訪れた青年が、足を強く引っ張られて転倒しそうになり、その瞬間に撮影した写真に白い手の影が写っていたという話があります。映像と感覚が同時に怪異を示すという『二重の体験』として、心霊探索系の動画でも繰り返し紹介されてきました。
- 池の特定の場所だけ、夏でも空気が急激に冷たく感じられるという報告があります。物理的には水温と湿度の関係で生まれる現象として説明できる場合もありますが、訪問者の多くが『冷気が首筋に当たる』と表現する独特の触感を伴って体験するため、ただの気温差以上の何かとして記憶されています。
- 心霊系YouTubeチャンネルの撮影中に、機材のバッテリーが急速に消耗した・録音された音声に原因不明のノイズが混入した・撮影時に画面が一瞬乱れた、といった機材トラブルが、たっちゃん池では繰り返し報告されてきました。ゾゾゾほか複数のチャンネルの動画で実際に確認できる現象として、視聴者にも伝わっています。
- 住所
- 東京都東村山市多摩湖町3-17-19(都立狭山公園内) [地図]
- 交通
- 西武多摩湖線『武蔵大和』駅から徒歩約10分
- 現況
- 都立狭山公園として通年開放(無料)。池畔は遊歩道・柵あり。釣り・遊泳禁止。
- 訪問覚書
- 夜間は照明が乏しく転落の危険あり。深夜の大人数訪問・肝試しは近隣住民の迷惑となるため控える。慰霊石碑への参拝マナーを守る。
- 確認日
- 2026-05-08
たっちゃん池と狭山公園の歴史について、もう少し丁寧にお話ししたいと思います。
東京都西郊の東村山市・東大和市・武蔵村山市にまたがる狭山丘陵は、武蔵野台地の北西端に位置する、なだらかな丘陵地帯です。
古くから水資源に恵まれ、農業用の灌漑用貯水池が各所に整備されてきました。
たっちゃん池こと宅部池も、こうした農業用貯水池の一つとして、いつ頃から存在したかは正確には分かっていませんが、少なくとも江戸末期にはすでに記録に現れています。
地名の『宅部(やけべ)』は、この一帯にあった旧家の屋号、もしくは『焼部』からの転訛とも伝わります。
大正期に入ると、東京都心の人口急増による水不足を解消するため、狭山丘陵の谷を堰き止めて巨大な貯水池を造る計画が動き始めます。
大正十二年(一九二三年)に村山貯水池(多摩湖)が完成し、続いて昭和九年(一九三四年)には山口貯水池(狭山湖)も完成しました。
これらの貯水池の建設に伴って、狭山丘陵の自然環境は一変し、もとあった集落・農地・墓地のいくつかが水没しました。
たっちゃん池の悲劇は、ちょうどこの大規模水資源開発のさなかの時期に起きたのです。
大正十四年(一九二五年)八月の事件当時、宅部池は地元の子供たちが夏に泳ぐ場所として親しまれていました。
当時の写真を見ると、現在のような遊歩道や柵はなく、池の縁まで草地が下りていて、子供たちが自由に水に入れる構造だったといいます。
事件のあったのは、晴れた夏の昼下がり。
十歳の『たっちゃん』が突然水底に沈み、救助に飛び込んだ青年二名が同様に呑み込まれた——という瞬間に、池の何が起きたのか、いまも完全には分かっていません。
当時の解剖記録によると、三人とも『水を多量に飲んでの溺死』と判定されたものの、池の中央部には水温の急激な層変化や水草の群生があり、体力を失った人間を引き込みやすい構造があった可能性が指摘されています。
事件後、地元では池畔に三人の慰霊のための小さな石碑が建てられ、毎年八月のお盆の時期には地元の方々が手を合わせに訪れる習慣が、戦前から続けられてきました。
戦後の高度経済成長期に狭山公園として周辺一帯が整備された際、池の縁には遊歩道と転落防止の柵が設けられ、安全対策が施されました。
二〇一〇年・二〇一六年には、東京都の主導で『かいぼり』と呼ばれる作業が実施されました。
これは、池の水を完全に抜いて、底に堆積した汚泥や外来種の魚を除去する清掃作業です。
かいぼりの際には、池の底から大正期以前のものと思われる古い陶器や生活道具が見つかったとも報告されており、この池が長い時間をかけて地元の人々の暮らしと結びついてきたことが、改めて確認されました。
平成三十一年(二〇一九年)以降、心霊探索系YouTubeチャンネル『ゾゾゾ』をはじめとする複数の番組が、たっちゃん池を繰り返し取材したことで、若い世代の認知度が一気に広がりました。
SNS経由で訪問する若者が増え、深夜の公園で大きな声を出して肝試しをする集団も現れたため、近隣住民や公園管理者が対応に苦慮するという問題も起きています。
霊的な体験を求める前に、まず慰霊の心を持って訪れていただきたい——というのが、地元の方々の共通した願いです。
私がたっちゃん池について最も伝えたいのは、ここで起きた悲劇の主人公が、十歳の子供と彼を助けようとした若者二人だった、という事実です。
怪異の話は、その三人の命の重みを忘れないために、九十年にわたって地域が紡いできた語り部の声でもあります。
皆さんが訪れる場合は、ぜひ池畔に建つ慰霊石碑に立ち寄って、その名前と年齢を心に刻んでから、池の景色を眺めていただきたいと思います。
- たっちゃん池の周囲は遊歩道・柵が整備されていますが、夜間は照明不足で非常に暗くなります。日没前の見学を推奨します。
- 深夜の単独訪問は霊的問題以前に転落・転倒の物理的危険があります。複数人で行動してください。
- 池の柵を越えての立入は禁止です。水深約7mで深く、転落すると引き上げが困難です。
- 狭山公園は都立公園です。夜間の大声・大人数騒動は近隣住民の生活を脅かします。控えてください。
- 1925年の事件で命を落とした少年と青年への敬意を持って訪問してください。肝試し目的の訪問は厳に慎んでください。
- 釣りは禁止区域です。池での釣り・水草採取・生物捕獲は禁じられています。
- 心霊撮影目的で機材を持ち込んでも、近隣住民や他の利用者の迷惑にならないよう配慮してください。