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廃墟/関東

檜原村 猿江集落

檜原村の北秋川源流、藤倉地区から尾根上に登った標高800〜900メートル前後の山中に、炭焼きで生計を立ててきた山岳集落「猿江(さるえ)」が点々と続いていた。約300年前、麓の藤倉で発生した大規模な山崩れで8軒中7軒が呑まれ、生き残った住民が災害を恐れて山の上層に逃げ、そこに作った集落の一つが猿江だと伝わる。令和3年(2021)に福祉モノレールが撤去され、令和4年(2022)頃に最後の住民が麓に下り、300年続いた山岳集落は無住化した。

東京都西多摩郡檜原村――東京都に唯一残る「村」――の北西部、北秋川の源流域に、かつて「猿江(さるえ)集落」と呼ばれる炭焼きの山岳集落が点在していました。皆さんが武蔵五日市駅からバスで揺られること約1時間、藤倉のバス停から都道205号水根本宿線(幅員わずか1.0メートルの「酷道」として知られる)を尾根上へとひたすら登ったその先――旧藤倉小学校跡地の奥、標高800〜900メートル前後の急斜面と尾根に、数軒ずつ点々と離れて立つ家屋群がそれです。令和3年(2021)に福祉モノレール「猿江線」(藤倉小学校跡から猿江集落まで延長2,416メートル)が利用者ゼロとなり撤去され、令和4年(2022)頃に最後の住民が麓へ下りたことで、約300年続いた山の暮らしは幕を下ろしました。

この集落の発祥には、土地に伝わる古い言い伝えがあります。およそ300年前――江戸中期の享保〜寛延の頃と推定される時期――麓の藤倉地区で大規模な山崩れが起き、当時集落を形成していた8軒のうち7軒が土砂に呑まれて消えたといいます。生き残った1軒の住民と、その後逃げ込んだ親類縁者たちが、再び麓に住むことを恐れ、山の上層へと散らばって幾つかの小集落を作った――その一つが猿江、もう一つが今も観光資源として残る重要文化財・小林家住宅の在所だと、地元では語り継がれています(『檜原村史』には記載のない口碑)。

集落の生業はもっぱら炭焼きでした。炭焼き窯の跡が今も尾根筋に点在し、馬を使って麓まで炭を売りに行っていた痕跡として馬蹄の釘や、馬方が打ち付けた蹄鉄が朽ちた木戸に残っています。明治・大正・昭和初期までは集落の若者たちは麓の小学校(藤倉分教場)まで急斜面を下って通い、戦後の燃料革命で炭の需要が激減した昭和30〜40年代に若い世代が次々と村を離れました。それでも高齢者が頑として住み続け、行政が福祉モノレールを敷設して生活物資を運ぶ仕組みを整えたほどでした。平成19年(2007)頃には7名の住民がモノレールを利用していた記録があり、平成末期まで現役の山岳集落だったことが窺えます。

心霊スポットとして語られる場所ではありません。廃墟検索系のサイトも、訪問記を上げているハイカーたちも、心霊や怪異の話は明確に否定しています。それでも私がこの集落を皆さんに紹介したいと思ったのは、ここが「災害から逃れて山に登った人々の300年」が今まさに終わったばかりの場所だからです。山中には朽ちかけた家屋、住む人を失った稲荷神社、小泉姓を中心とする墓石群、使われなくなった炭焼き窯跡、撤去されたモノレールの台座だけが残されています。訪れた方々が一様に語るのは、廃墟特有の恐怖というよりも、家屋に残された生活道具、神棚に上げられたままの古い榊、数年前まで人が暮らしていた気配の濃さに対する言いようのない寂しさです。「夕方近くに集落を歩くと、誰もいないのに人の気配が濃く感じられた」「無住の家の窓越しに台所の奥で誰か動いているような錯覚があった」という訪問者の感覚的な体験談はいくつか聞かれますが、これは廃村特有の心理現象で、霊的な怪異というよりも「終わりかけた場所」が放つ独特の空気感だと私は思います。皆さんが訪れる場合は、私有地への無断立入を絶対に避け、登山道と都道からの観察に留めてください。300年続いた山の暮らしへの敬意を持って、静かに歩いてくださいね。

【沿革・年表】
  • 江戸中期(300年前頃)藤倉地区で大規模な山崩れが発生し、8軒中7軒が土砂に呑まれる。生き残った住民が山の上層に逃げ上がり、猿江集落・小林家など分散型山岳集落が形成されたとする口碑
  • 江戸後期〜明治大正炭焼きを生業とする山岳集落として安定。「奥多摩炭」「武州炭」を麓の問屋に馬で運ぶ生活が続く
  • 昭和30〜40年代燃料革命で炭の需要が激減。若い世代が次々と麓へ下り、限界集落化が進む
  • 昭和後期〜平成檜原村が福祉モノレール「猿江線」(2,416m)「藤原線」を敷設。高齢住民の生活を支える独自施策
  • 平成19年(2007)頃猿江線の利用者は7名と記録される
  • 令和3年(2021)猿江線の利用者がゼロとなり、モノレールが撤去される
  • 令和4年(2022)頃最後の住民が麓の医療機関へ転出。約300年続いた山岳集落が事実上の無住化を迎える
  • 令和(現在)稲荷神社・墓石群・炭焼き窯跡・無住化した家屋が残存。元住民・子孫の墓参が続く一方、廃村探訪者の訪問も絶えない
【現象録】
  • 夕方近くに集落を歩くと、誰もいないはずなのに人の気配が濃く感じられるという訪問者の感覚
  • 無住の家屋の窓越しに、台所の奥で誰かが動いているような錯覚を覚える
  • 稲荷神社の祠から、賽銭箱に銭を落とすような音が聞こえたという報告(風による誤聴の可能性大)
  • 撤去されたモノレールの軌道跡を歩いていると、後ろから台車の走行音のような低い唸りが聞こえた、という体験
  • 炭焼き窯跡から、炭を熾す薪の匂いがふっと漂うという感覚的な体験
  • 集落上部の急斜面で、先を歩く誰かの背中が一瞬見え、追いつくと誰もいないという「先導者」の体験談
  • 心霊現象としての怪異は伝承上確認されていない(廃墟検索地図でも明確に否定)
【所在・交通】
住所
東京都西多摩郡檜原村藤倉(旧藤倉小学校跡から尾根上へ徒歩。具体的座標は公開されていません)
交通
JR武蔵五日市駅から西東京バスで約1時間「藤倉」下車。都道205号水根本宿線を徒歩で尾根上へ
現況
令和4年(2022)頃に無住化。私有地につき無断立入禁止
訪問覚書
心霊スポットではなく廃村探訪地として静かに訪れる場所。元住民・子孫が今も墓参に通っています。私有地・墓地への無断立入は絶対にしないでください
確認日
2026-05-09
【民俗・伝承】

猿江集落の歴史を理解する鍵は、檜原村全体に残る「藤倉山崩れ伝承」にあります。およそ300年前、檜原村の北西部・藤倉地区で大規模な山崩れが発生し、当時8軒あった集落のうち7軒が土砂に呑まれた、と地元の口碑は伝えます。文書資料には残されていませんが、生き残った住民は災害を恐れて麓を捨て、急峻な山の上層に分散して住み着き、そこから幾つかの山岳集落が生まれた――そう代々語り継がれています。重要文化財に指定されている江戸初期の民家「小林家住宅」も、この時期の上層移住の痕跡だという考察があります。猿江集落は、その「逃げ上がり」の一つの結果として形成された集落だと伝えられています。

生業は山仕事――特に炭焼きが中心でした。江戸後期から明治大正にかけて、檜原村の炭は「奥多摩炭」「武州炭」として東京方面に大量に出荷され、村は炭で支えられてきました。馬を使って急斜面を下り、麓の炭問屋に運ぶ、という暮らしが続いていましたが、戦後の高度経済成長期に石油・電気・ガスへの燃料革命が起き、炭の需要が一気に消失します。昭和30〜40年代に若い世代が次々と山を下り、山岳集落はどこも高齢者だけが残る限界集落へと変化していきました。

檜原村の場合、行政が「福祉モノレール」という独自の仕組みで山岳集落の生活を支えてきたことが特筆されます。猿江集落へは「猿江線」(藤倉小学校跡から集落まで延長2,416メートル)が、近隣の藤原集落へは「藤原線」が、それぞれ敷設され、高齢の住民が病院通いや生活物資の運搬に利用していました。猿江線は平成19年(2007)頃に7名の住民が利用していた記録がありますが、住民の死去・転出が続き、令和3年(2021)にとうとう利用者がゼロとなって撤去されました。翌令和4年(2022)頃に最後の住民が麓の医療機関へ移ったとされ、ここで約300年続いた集落の歴史は事実上終わりを迎えました。

集落跡には今も、稲荷神社・小泉姓を中心とする墓石群・炭焼き窯跡・福祉モノレールの台座・無住化した家屋が残されています。墓石は比較的新しく、令和に入ってからも建立されたものがあるとされ、麓に下りた元住民や子孫が今も墓参に通っていることが推察されます。心霊スポットとしての伝承は確立しておらず、廃墟検索系のサイトも「心霊の噂は事実無根」と明記しています。それでも、廃墟探索者・登山者・廃村好きの間では「最近まで人が住んでいた山岳集落」として静かな注目を集めており、無断侵入を禁じるサイトの注意喚起にもかかわらず、訪問者は跡を絶ちません。皆さんが訪れるのであれば、これは「祟られた場所」ではなく「終わったばかりの場所」だと心に留めて、敬意を持って歩いてほしいと思います。

【参考文献】
#廃村#限界集落#炭焼き#檜原村#山岳集落#福祉モノレール#藤倉山崩れ伝承#稲荷神社#心霊伝承なし
⚠ WARNING
  • 集落跡の家屋・敷地はすべて私有地です。無断立入は絶対にしないでください。元住民・子孫が今も墓参に通っています
  • 都道205号水根本宿線は幅員1.0メートル前後の極狭道で、車での通行は推奨されません。バス+徒歩でのアクセスが安全です
  • 尾根上の集落跡へは急斜面の登山道を歩く必要があります。登山装備(登山靴・水・地図・熊鈴)を必ず用意してください
  • 檜原村はツキノワグマ・ニホンジカ・狩猟期間中の狩猟者が活動するエリアです。冬季は特に注意してください
  • 心霊スポットではありません。怪異目当てで訪れることは地元の方々への敬意を欠きます。訪れる場合は廃村探訪・歴史散策として静かに歩いてください
  • 撤去されたモノレールの台座等の構造物に近づくと崩落の危険があります。立入禁止区域には絶対に入らないでください
最終更新:2026-05-09 03:12:48